一般葬儀と比べてゆっくり最後のお別れができる家族葬

最近は伝統的な一般葬儀ではなく、ごく近親者だけが集まっての家族葬で最後のお別れをする遺族が増えています。一般葬儀の場合は一面識もない方々から沈痛な表情でお悔やみをいただき、礼を失することがないように対応しなければならないことが多く、遺族には非常なストレスとなることがあります。お葬式、火葬が終わって家族だけになった途端に具合が悪くなる高齢の喪主は珍しくありません。遺族として最初に焼香したのに記憶がないという方もいます。一般葬儀は伝統的様式にのっとって粛々と進められるのですが、遺族は会葬者への御礼や喪主挨拶などで精神的に一杯になってしまい、心の底からゆったりとした気持ちで故人を見送ることが難しいという側面があります。

読経の意味もよく分からないのに宗教的儀式に拘泥する必要があるのか、という考え方が徐々に出てきたのは20世紀末前後です。お葬式を宗教的儀式ととらえず、故人と残された家族との最後のお別れの時と考える風潮が生まれてきました。家族葬によって、近親者が心の底から納得するまで故人との最後の時間を過ごしてお別れをするという新しい価値観です。こうした死生観の変化に伴って、お葬式の形態も様変わりしてきました。

古事記と日本書紀の神話は、日本人の死生観を最初に記述したものと位置づけられていますが、現代にいたるまでさまざまな形で死生観を反映してきました。人は死亡したら遺体となり、遺体はただのボディであるという欧米の考え方は、日本人にはなかなか受け容れることが難しい価値観でした。これを大きく変えた一つのきっかけは脳死移植です。2018年では多くの方が受け容れているようにみえる脳死移植ですが、1997年に臓器移植法が成立するまでの日本国内は大混乱でした。日本人の死生観を根底から覆す先端医療に対して、さまざまな難しい論議を呼びました。脳死の状態では心臓は動いており体も温かいので、遺族が死亡をなかなか受け容れられないことや、遺体となっても体を傷つけることになる臓器摘出に抵抗感が強かったことがあります。約20年の間に脳死移植が一般化し、日本人の死生観をもある程度変化しました。この流れと並行するように、従来の死生観を大切にした一般葬儀とともに、新しい死生観に沿った家族葬も増えてきたのです。どちらにも意味があるお葬式の形態であり、それを選択するのは遺族の思いや死生観、価値観です。